【感想】儚い羊たちの祝宴 米澤穂信
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以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。
身内に不幸がありまして
夕日と、その家のお嬢様の吹子との友情の物語。
と思いきや、それが覆されるミステリーの醍醐味を満喫させてくれるラストにつながる。
表題である「身内に不幸がありまして」は、どんなことであろうと断ることのできる魔法の言葉である。
ただし、これが嘘であったら二度と信用されなくなるだろう。
バベルの会の夏合宿を理由なく断れないがために、兄の襲撃事件を利用して身内を殺害する発想は驚きだった。
きっと夏合宿を楽しみにしていたのは本当なのだろうが、その様子をしっかり表現されていたので上記の理由になるとは思わなかった。
作中に登場する小説を知っていれば、真相にも気づきやすく、もっと楽しめたかもしれない。
本書の中で、最後の一行にぞくっときたのはこの短編。
北の館の罪人
北の館が存在する理由や、早太郎の不思議なお使いの内容に気を取られ、あまりが六綱家に対して復讐心を持っていることに気づかなかった。
自己主張が少なく、感情表現も少ないので気づきにくくしているのだろうが、愛人の子として不遇の人生を歩んできていたのであれば当然か。
あまりからヒ素による殺害に気づき、自分の髪の毛を絵の中に残し、あまりの手の届きにくい本館に飾らせることで証拠を残す方法は素晴らしい。
さらに、色彩が変化する青であまりの手を塗り、時間とともに赤に染めるのも秀逸。
「殺人者は赤い手をしている。しかし彼らは手袋をしている。」
この言葉を再現し、死してなお、あまりに対して罪を告発したところは非常に痛快であった。
この作品でもほんの少しだけバベルの会が登場する。
山荘秘聞
ミステリーには3つの謎があるが、その中でもフワイダニットを取り扱っている。
二重人格のような矛盾する行動に不安感をあおられ、最後がどうなるのだろうかとハラハラしたが、いびつながら一貫した理由に驚きながらも満足させられた。
一種のプライドというか、使命感もここまでくるとこうなるのかと面白かった。
こちらもバベルの会は存在だけが出てくる。
玉野五十鈴の誉れ
こちらも地元で名のある家計の話で、後継者問題を抱えている。
本人には関係ない理不尽な理由で監禁されるが、弟が焼却炉で死んでしまう事故のおかげで解放される。
五十鈴との思い出、監禁状態、天国と地獄の両方を見せられ、心苦しいが、理不尽から救われて本当に良かった。
ご飯の炊き方を歌にした「始めちょろちょろ、中ぱっぱ。赤子泣いても蓋取るな」
今では蓋を取っても大丈夫らしい。
それより、焦がさないようにしっかり確認した方が正確らしい。
五十鈴がやったとは、証拠も状況も何もないが、純香を救ったのは五十鈴だと信じたくなる。
純香が大学で所属したのはバベルの会。
「身内に不幸がありまして」の吹子とは同時期だったのかは定かではないが、こちらでも登場している。
儚い羊たちの晩餐
これまで少しずつ顔を出してきた「バベルの会」が主として登場してくる。
バベルの会とは、幻想と現実とを混乱してしまう儚い者たちの聖域であるという。
心の奥底に夢想家の自分を抱え、物語的な膜を通して現実と向き合っている人が集う会。
バベルの会に属する会員とのコネを作るために入会していた鞠絵は、実際家と言われ除名される。
ちょっとした復讐のため、彼女らをアルミスタン羊と称し、厨娘・夏に食材として用意させる。
感想を書くにはこの短編はとても難しい。
鞠絵の後悔がどこにあるのか。
バベルの会なのか、祖父のこと、父のこと、生活が変わったこと。
バベルの会の存在理由がわかるようになったとあるから、厳しい苦しい現実を受け入れることができず、夢想に走った今だからこそバベルの会を欲したのであろう。