【あらすじ】我々は、みな孤独である【感想】
私が読書をするきっかけになった著者、貴志祐介の久しぶりの長編作品
探偵・茶畑徹朗(ちゃばたけ・てつろう)の元にもたらされた、
「前世で自分を殺した犯人を捜してほしい」という不可思議な依頼。
前世など存在しないと考える茶畑と助手の毬子だったが、
調査を進めるにつれ、次第に自分たちの前世が鮮明な記憶として蘇るようになる。
果たして犯人の正体を暴くことはできるのか? 誰もが抱える人生の孤独――死よりも恐ろしいものは何ですか。
鬼才がいま描く、死生観とは。著者7年ぶり熱望の傑作長篇。
貴志祐介ファンの私は、あらすじも見ることなく本書を手に取った。
久しぶりの新作。
それも榎本シリーズではなく、探偵が出てくるのでミステリーかと思っていた。
「前世で自分を殺した犯人を捜してほしい」という、一見途方もない依頼を受けた茶畑だったが、
思いのほか調査が進み、少しずつながら真相に近づいていく。
この辺りまで読んだ私は、きっと過去の因縁から現代へと続く時代を超えたミステリーになるのだろうと推測していたわけだが、ミステリーというよりも、SFに近い方向へと物語は進んでいくことになる。
茶畑も突然、前世の夢を見るようになり、
その内容はなぜか依頼主と同じ殺される立場のものだった。
夢の内容、前世について現実的なトリックが使えるわけもなく、この辺りから「おや?」と思うようになった。
以下、ネタバレを含むため未読の方はお気を付けください。
物語が始まる前、茶畑は事務所の従業員に金を持ち逃げされ家賃が払えなくなるほど困窮している。
また、その従業員が闇金に手を出しており、そのケツ持ちをしている幼馴染の暴力団からも金銭を要求される。
話はどんどん大きく広がり、メキシコのマフィアからも追われ、マフィアと暴力団との抗争に巻き込まれ、目の前で人が死ぬ経験をする。
前世の殺人を追うミステリーと、現代のごたごたに巻き込まれるハードボイルド風と、両方を楽しませるのかと思いきや、どちらも中途半端なかたちで終着してしまった感じが否めない。
どういうことを書きたかったのかなんとなく伝わるのだが、それを納得させる過程をすべてぶん投げてしまっている印象を受けた。
依頼主の前世と繋がっていたのも、幼馴染の暴力に自分自身を重ねるのも全ては一つであり繋がっているから。
元々ひとつの存在であり、人だけではなく、動物も物もすべてが一つだった。
わかる、言いたいことはわかる。
最後の最後に無理やり物語をたたんだやり方は、ファンであっても正直もやっとしたかんじだった。
某週刊漫画雑誌の打ち切りで終わったわけでじゃなく、ひとつの作品としての締めとしては残念の一言。
同じオチだとしても、そこに至るまでの過程はしっかりと書いてほしかった。
繋がっているからこその孤独。我々は、みな孤独であるというタイトルの意味もうまく消化できず、モヤモヤした感情で読み終えた。